かつて「シブレーのタペストリ」というものが話題になったことがあります。車の話でもキャロル・キングのアルバムの話でもなく,SibleyとAlquistという学者が1990年に出版した鳥の系統に関する書籍のことです。世界で初めて,DNAハイブリダイゼーションという技術を用いて鳥類のどの科とどの科のDNAが似かよっているかということを調べました。従来考えられていた系統関係と異なる結果が得られており,また技術的にも方法論的にも(今ふりかえってみれば)未熟なものでした(膨大な分類群の組み合わせを大変面倒くさい方法で調べたことには頭が下がります)ので,「こんなDNAをもとにした系統分類なんて信じられない」という意見も多々多々多々でした。そこからほんの30年…ですがとんでもない30年が過ぎました。数多の技術や理論が鍛えられ,今や鳥学の世界ではDNAから何かを明らかにすることは,もはや普通のこととなりました。そんなDNAまみれの鳥学の本が出版されたのでご紹介します。
『遺伝子から解き明かす鳥の不思議な世界』
上田恵介編/一色出版/480頁/定価=4500+税
『遺伝子から解き明かす鳥の不思議な世界』はタイトルどおり「遺伝子」を共通のキーワードとして,行動,分類,保全,考古学といった様々な話題が集まった本です。編集はこれまでたくさんの楽しい本を作ってこられた上田恵介さん。著者陣もバラエティに富んでいます。
有名なトピックスもいくつも盛り込まれています。面白い話だけによく使われるものですが,そういった話題も,料理人(著者)が違えば,メニューの組み立てや味は違ったものになりますし,食べる(読む)側もその話題に対してより理解を深めることができるでしょう。紙の本だけで満足できない方は,本とリンクしたオンラインコンテンツも楽しむことができます。
目次を見て「遺伝子から解明する」本にどうしてこんな話題が載っているの?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。進化生物学者のリチャード・ドーキンスは言いました。「生物は遺伝子の乗り物」だと。いいかえると,生き物がなぜそうなっているのか,という「生き物がもつ不思議な特徴や行動」は,遺伝子が乗り物を乗り継いで乗り継いで現代までやってきたその進化の産物です。乗り物に馬車や船や車や列車や飛行機があるように,生き物もときに形が変わり,システムが変わります。その乗り物の設計図がDNA配列です。分類の研究では,遺伝子で形の類似性などの背景にある進化的な過程を考えますし,考古学はそのプロセスのなかの,過去のある時点(といっても長い期間)のスナップショットを扱います。遺伝子は保全を考える上でも重要です。長い時間をかけて極端な場所に棲むようになった生物や,隔離された環境に生息してきた生物などは,様々な形でその環境に適応しており,なかには別の場所ではうまく生きていけないものもいます。ではそれらを保護して失われないようにすべきではないか。そういったことを考えるときの理論的な単位のひとつが遺伝子なのです。また,鳥の行動や渡りを知ることは大変大変難しいですが,ときに遺伝子がそれを知る助けになってくれるのです。そういったことをぜひ,この本で確かめていただければと思います。
ところで,犯罪捜査モノのTVドラマなど見ていると時々科学捜査班が出てきます。事件現場に科学捜査班が到着し,床や壁,衣類などに付着している様々な証拠を集め,ラボに持ち帰って分析しますが,「DNA鑑定」もそのひとつ。物証に付着したDNAから個人や血縁関係が推定され,事件が解明されたらエンディングです。ところでそれって何をやっているの?と思われた方,この『遺伝子から解き明かす鳥の不思議な世界』を読むと,私が執筆を担当した第5章には親子判定の方法が書いてあります。それにしてもドラマはうらやましいです。分析が早い。べらぼうに早い。そしてコンタミ(分析を邪魔する余計なまざりもの)が多々ありそうなサンプルでも素晴らしい純度で結果が出ます。まあドラマですから。なんて思っていたら,最近のリアルタイムPCRという新しい手法の話を聞くと,現実が追いついてきたような気もしています。お金はかかりますけれど。鳥学の世界でもそのうち,犯罪捜査ドラマどころかSFのスタートレックみたいに,目の前の鳥をスキャンして一瞬で生物の出身地を高精度で推定できてしまうようになるかもしれないですね。あのイスカはロシアの〇〇出身!って。