嘱託研究員の黒沢が翻訳した本なのですが、「はじめに」の文章を読んでみたところ、とても興味を引かれたので、読んでみることにしました。
ストーリーの軸を成すのは鋭端が尖り青色が美しいウミガラスの卵です。その色や多彩な模様は多くの人々を惹きつけてきました。それだけではなく、一般的な卵とは違う不思議な形も注目を集めました。ウミガラスは海に面した断崖絶壁の狭い岩棚で繁殖します。そこで、この形なら、卵が転がっても同じ場所でくるくる回り、崖から落ちにくいのではないか、と言われていました。しかし、この説を疑ってかかった著者のバークヘッド氏は、過去の論文を見直して調べていくうちに、「この説が間違いだ」とまでは言えないことがわかってきました。かと言って、崖から落ちないという理由だけで、卵の形を説明することもできない。バークヘッド氏が、卵がどのように形成されるのか、形や色の進化、卵の持つ機能を紐解いていく中で、たどり着いた結論とは?
本書では、卵の形は殻が形成される前に決まっているとか、殻を作るためにカルシウムが必要で、それは卵巣から子宮に行く道すがらスプレーのように周りから吹き付けられるのだとか、カルシウムが少ない森のシジュウカラが殻のない卵を産むのに、同じ森に棲むマダラヒタキはあるものを食べていたからその症状が起きないとか、転卵ができないキウィは卵白の割合が少ない卵のおかげで無事孵化ができるのだとか、たくさんの鳥類学の知識が、間違った仮説が覆されていく過程とともに紹介されています。
え?結論?ヒントは、卵は硬い殻を通して呼吸をしている、ということです。それ以上は、読んでいただいてのお楽しみ、ということで。
鳥類学の歴史をたどる歴史秘話ヒストリア
この本は鳥の生態やその研究について書かれている本とは、少し趣が違います。確かに、卵殻の形成過程や色彩が作られる仕組み、その形や色が持つ適応的な意義などについて、科学者の視点から詳しい説明がされていますし、引用文献もそろっているので原典に当たることもできます。研究の世界へいざなってもらえる点は同じですが、データやグラフの類はいくつかの模式図を除いて一切ないのです。代わりに紙面上を彩るのは、膨大な数の研究者たちです。
何年に誰が何をしたのか、論文や著書などでどういうことを綴っていたのか、が紹介されており、「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソンも、農薬に使われたDDTによる卵殻の薄化についての話の中で登場しました。第1章では卵を採取する人とその提供を受けて収集するコレクターの話が展開されますが、1600年代のことです。そこから、約400年の鳥類学の歴史を、たくさんのエピソードの間を行きつ戻りつ辿っていきます。鳥の卵の話だけに留まることなく、当時の研究者やそれを取り巻く人々のドラマが展開され、まるで小説のようでもあります。
ストーリーの展開は流れるようで、文章も非常に読みやすく、それでいてイギリス人が書いたものらしく美しい文章表現に満ちています(英語論文で出くわすのは御免ですが、黒沢さんがとても上手く訳してくれています)ので、読み心地が良く「読書の秋」にもってこいだと思います。
上述したように、しっかりとした知識を提供してくれていますので、若手の研究者にもおすすめします。最新の研究に至った歴史を一冊の本で感じとることができることは、研究分野を問わず、自身の研究の意義を見つめなおすのにも役立つと思います。
惹かれたプロローグとエピローグ
この本を執筆したきっかけが冒頭に書かれていたのですが、テレビで解説者が海鳥の少し細長い卵を取り出して、回して見せ、この卵は転がっても形のおかげで同じ場所に留まる、断崖でも卵が巣から落ちないという説明をしていたのを見て、バークヘッドさんがそれは間違っていると連絡し、証拠となる論文を探して送ろうとした・・・ところが、調べなおしてみると、この説を否定するに足る十分なデータを示している論文が、実は見当たらないことに気づいて、じゃあ、もう一度、卵について向き合ってみよう、と考えたそうです。
このあたりの記述は実によく鳥の研究者の日ごろの様子を表していましたし、「近ごろは、政府が研究に評価を下すせいで、科学の大部分が歪められている。短期的な公的助成金を得るために、研究結果はたいてい誇張され、時には改竄されることさえある。私の卵研究には冒険の趣があるし、私は冒険こそが科学のあるべき姿だと考えている。」という言葉にも、日本の現状と通じるところがあり、刺激を受けました。
あとがきで訳者も書いていますが、エピローグも素晴らしいです。黒沢さんの言葉を借りれば「著者の研究の全体像が明らかになり、大いに盛り上がるのだ。鳥の繁殖生態の基礎研究を長期にわたり行なってきた著者が、それを活かして、絶滅危惧種の保全に役立てる方向性を示すあたりはさすがだと思わざるを得ない。」ということになります。読んでいて飽きちゃったら、エピローグを読むと良い、とまで黒沢さんは語っています。
私がエピローグから紹介するとしたら、バードリサーチらしく、次の文章にしようと思います。Nature誌から研究と資金不足に関する記事の執筆を依頼されたバークヘッドさんの言葉です。
「そこで私は、自分が行なってきたウミガラスの研究のことだけでなく、長期にわたるモニタリング研究の重要性を訴えた。長期研究は費用対効果がきわめて高く、大きな成果をあげられることを示す証拠は枚挙にいとまがない。研究対象の生物を熟知して知識豊かな研究者が、将来を見据えた長期的な展望に立つ研究(条件の良い年や悪い年、現在進行中の気候変動など、さまざまな環境条件の下で、長期にわたる対象生物のモニタリング)を行なうという組み合わせがあってこそ、こうした長期研究の成果はもたらされる。長期研究の最も重要な点は、それまで予想もされなかった環境問題が起きたときの調査を可能にすることではないだろうか。<中略> 長期的な生態学的研究は環境の将来に対する投資なのである。」
長期的な調査や研究が成果を生むタイミングは、今すぐではないかもしれない、でも、その時がきたら大きな恩恵を得られることは間違いない、投資するに値するものなのだ、と。毎年、目新しい結果をお伝えできてはいないと思いますが、それでも、毎年調査に協力していただいているバードリサーチの会員の皆さんに、いつか、やっていて良かったと思っていただけるよう、私たちも頑張りたいと思います。