シジュウカラガンは一度は絶滅の淵に追い込まれた種ですが、かつての繁殖地である千島列島に再導入が行われ、日本の越冬個体数は回復しつつあります。しかし再導入された島ではその後の調査を実施できなかったために放鳥個体の繁殖は確認されていなかったのですが、今年8月11日、千島列島のクルーズ船に乗船していた私市一康さんにより、はじめて幼鳥の写真が撮影されました。そこで、今回は千島列島のシジュウカラガン絶滅から復活までのストーリーをご紹介します。
千島列島での養狐業とシジュウカラガンの絶滅
シジュウカラガンは、アリューシャン列島と千島列島で繁殖していた小型のガン類で、アリューシャンの群れはアメリカ西海岸に渡り、千島の群れは日本に渡っていたと考えられています。かつて日本領だった千島列島では大正時代から毛皮を作るための養狐(ようこ)業が盛んになりました。ここではキツネを野外に放して成長させてから再捕獲する方法で養殖が行われ、キツネは繁殖期の海鳥やシジュウカラガンを襲って餌にしていたと考えられます。養狐業はアリューシャン列島でも盛んで、その結果、北米へ渡るシジュウカラガンは1930年代にはほぼ見られなくなり、日本へ渡るシジュウカラガンも1935年頃に宮城県で数百羽が見られたのを最後に、ほとんど記録がなくなってしまいました。
エカルマ島への再導入
アリューシャン列島では1962年にシジュウカラガンの繁殖地が再発見され、アメリカで保護増殖事業が開始されました。人工繁殖させた個体を放鳥したことで、個体数は1967年の790羽から2017年には17万羽まで回復しています。そして日本では、アメリカで繁殖させたシジュウカラガンを譲り受けた日本雁を保護する会と仙台市八木山動物公園が、ロシアの研究者と連携して1995年から2010年まで人工繁殖で個体数を増やしつつ千島列島のエカルマ島(図1)で放鳥を行い、合計で551羽を野生に放ちました。その結果、日本に飛来するシジュウカラガンは2010年頃から増え始め、2017/18年の冬には5000羽を超えるまでになりました(図2a)。
秋に日本へ渡ってくる時期になると、シジュウカラガンはまず最初に十勝平野で観察されます。本州では宮城県と新潟県が主な越冬地で、春の北帰の際には秋田県の八郎潟を利用します。(図2b)。
千島列島で幼鳥を含む家族群を発見
今年の夏にシジュウカラガンが撮影されたのは、エカルマ島の隣にあるシャシコタン島周辺の海上です(図1)。8月11日の11時ごろ、クルーズ船から降ろした小型ボートでシャシコタン島西部沿岸を移動中に、26羽のシジュウカラガンが南(シャシコタン島方向)から飛来し、そのうち23羽がボートと島のあいだの海に舞い降りたところを私市一康さんが撮影しました。その後、群れはエカルマ島の方向へと飛んでいったそうです。写真提供を受けた日本雁を保護する会の呉地正行さんが確認したところ、少なくとも10羽の幼鳥が写っていることが分かりました。シジュウカラガンがシャシコタン島で繁殖しているのか、それともエカルマ島で繁殖した個体が他の島まで飛んできているのかは不明ですが、今年生まれの幼鳥が観察されたということは、周囲でシジュウカラガンが繁殖している証拠と考えられます。今年6月に国後島を訪れた鳥類調査グループも二羽のシジュウカラガンを観察していてることから、シジュウカラガンは夏のあいだ千島列島全体を行動域にしているのかもしれません。