
図1:飛翔するイヌワシ photo by 板谷浩男
日本のイヌワシの個体数減少と繁殖成功率低下の問題に対し、全国規模で繁殖地の環境要因を分析した研究成果が公開されました。著者の木本さんらは、GISを用いて落葉広葉樹林面積、地形傾斜、道路からの距離、林業活動など6つの指標を数値化し分析しました。その結果、イヌワシの繁殖継続について、自然度の高い落葉広葉樹林や起伏の大きな地形が繁殖継続に正の、道路の存在や林業活動が負の影響を持つ可能性が示されました。この研究は、日本のイヌワシ保全のために科学的根拠を提供すると考えられます。
●紹介する論文●
木本 祥太, 板谷 浩男, 長船 裕紀, 守屋 年史, 上野 裕介, 日本国内においてイヌワシが繁殖を継続するために必要な生息環境の要因の検討:全国スケールでの評価, 保全生態学研究, 論文ID 2329,公開日 2024/12/02. https://doi.org/10.18960/hozen.2329
〇日本のイヌワシは危機的状況にある
日本イヌワシ研究会によると、日本のイヌワシ (Aquila chrysaetos) は、2013 年時点での生存ペア数は 241 ペアでしたが、1981 年から 2013 年までの 33 年間で 99 ペアが消失しており、減少傾向が顕著です。また、1980 年代には 30-50% 程度だった繁殖成功率は、1990 年代から 2000 年代には 20-30% 程度に低下し、2010 年代には 20% を下回るようになりました。環境省のレッドリスト 2020 では絶滅危惧 IB 類 (EN) に選定されており、近い将来における野生での絶滅の危険性が高いと考えられています。
一方、国外のイヌワシ個体群は、米国西部など一部地域では減少傾向が見られるものの、北米全体では減少しているとは言えず、英国やスペインでは安定傾向にあるという報告があります。 このことから、日本国内のイヌワシ個体群の減少は、世界的に見ても特異かつ危機的な状況にあると言えます。
〇繁殖が継続する指標はなんだろうか?
国外では、イヌワシの生息環境を広域スケールで定量的に評価する取り組みが、多数行われており、国土スケールでのイヌワシ保全に役立てられていますが、国内のイヌワシについて、生息環境を定量的に評価した例はあまり多くありません。そのため本研究では、繁殖を継続する生息地と消失した生息地を比較することで、イヌワシが繁殖を継続する生息環境の要因を全国スケールで評価しました。
まず、全国の鳥類関係者への聞き取り調査および文献調査を実施し、本州各地で、イヌワシが営巣していた地点が含まれる3次メッシュ(1km×1km)を36ヶ所を抽出し、各地点を、2010年以降も繁殖が成功している地点と、2010年以降に繁殖成功が確認されていない地点に分類しました。また、営巣地間の距離が50km未満の場合を同じグループと見なし、全国で12の地理的グループに分類しました。
そして、各営巣地の周辺環境をGISを用いて指標を数値化し、繁殖に影響を与えると考えられる以下の6つの生息地指標を選定しました。
■採餌環境:自然度の高い落葉広葉樹林面積、草地等の開放的環境面積、針葉樹人工林面積
■営巣環境:傾斜の大きさ
■人為的撹乱:国道・自動車専用道路までの距離、林業活動(木材生産による林業産出額)
これらの2010年以降の繁殖成功の有無を目的変数、6つの生息地指標を説明変数、地理的なグループをランダム効果としてモデルを構築し、一般化線形混合モデル(GLMM) を用いて分析しました。
〇繁殖を左右する要因の理由
分析の結果、自然度の高い落葉広葉樹林面積、傾斜の大きさ、国道・自動車専用道路までの距離、林業活動の4つの指標が、イヌワシの繁殖継続に有意な影響を与えていることが示されました。
イヌワシの繁殖継続には、広範囲にわたる自然度の高い落葉広葉樹林の存在や傾斜の大きさが重要でした(図2)。落葉広葉樹林は、イヌワシの餌動物となるノウサギやヤマドリなどの多様な生物が生息する環境を提供します。傾斜の大きさは、急峻な谷が多く起伏の大きな地形を営巣地として選好する傾向があるためと考えられます。 これらは、イヌワシの営巣や採餌に適した環境であると考えられます。道路建設や林業活動などの人為的撹乱は、イヌワシの繁殖成功に負の影響を与える可能性がありました。 道路の建設や存在が、イヌワシの生息地への人間の接近を容易にし、繁殖に対する人為的な撹乱をもたらす可能性を示唆しています。 例えば、米国では、イヌワシは特に車両から降りて歩行する人間に対して敏感であり、生息地への接近の容易さが繁殖に悪影響を及ぼすことが報告されています。また、活発な林業活動が、繁殖環境に負の影響を与える可能性を示唆しています。ただし、林業活動については、都道府県レベルで集計された数値を平均化して算出しており、必ずしも営巣地周辺の正確な状況を反映しているわけではないことに注意が必要です。
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図2:生息環境で確認された自然度の高い落葉広葉樹林と起伏の大きな地形 photo by 長船裕紀
〇日本国内におけるイヌワシの保全に向けて
イヌワシのように広い行動圏をもつ種の保全には、広範囲での環境保全を考える必要があります。本研究の結果、イヌワシの繁殖の継続のためには自然度の高い落葉広葉樹林や起伏の大きな地形の存在が重要であり、これらの景観要素を保全するとともに、開発行為や繁殖妨害といった人為的撹乱の影響を抑制することが重要と考えられました。ただし、イヌワシの保全にとって地域ごとに重要性や緊急性が異なることや、過去の繁殖地における直接的な繁殖放棄の原因については明らかにできていないため、今後もより詳細なデータの収集や分析手法の改良によって、更なる精度向上を行い、日本の生物多様性を保全する上で、アンブレラ種であり山地生態系の指標の一つであるイヌワシの保全を進めることが必要と考えられます。